義理の実家は金持ちではないですが、韓国で多少余裕のある暮らしをしている方であるようです。
韓国を最高の国だと思っています。
特に義母は、私が夫と結婚したのも、韓国滞在のビザが欲しい”ビザ目当て婚”だと言っていたそうです。
元々は敬虔な仏教徒だったこともあって、余裕があるなら寄付をしたりだとか、社会貢献だとか、、多少なりとも良い行いをできそうなのものなのに、一家のお財布である義母はそういった行為は一切しません。
また、カナダに来て最初の頃、私たち夫婦が貧困で明日明後日に食べるものにも困っていた頃にも、1ウォンも貸してくれることさえありませんでした。
残念ですがそういう人なんですよ。
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最近、夫が義母と電話をした後に、彼女の拝金主義なところを嘆いていたので、見えたかもしれない餓鬼になった義母の話をしたんです。
もう70歳なんだから、執着を捨てていかないと餓鬼道に落ちてしまうかもよ。そういうのがみえた気がしたよ。
死んだ時に、周りから悲しいと泣いてもらえる生き方をそろそろ目指していかないとね。
今からでも努力次第で未来は変えられると思う、と。
そうしたら、夫はそれを義母本人に言ってしまいました。
家でこっそり言う話をまさか本人に伝えるとは、、、文化が違いますね。
なぜそんなことを言ったの?と問うと、最近義母は「あの子(私)は私のことをなんと言っている?」と気にして聞いてきたそうで、その流れで答えたそうです。
(これは多分、夫からの話で私を少しみえる人だと勘違いしていると思われます)
夫は「欲を捨てないと悪いところに行くって」と言ったそうです。
義母の反応がブチギレじゃないかと怖くて怯えていたんですが、意外にも受け入れていたようで、、さすがダイレクト文化。
義母は「わかってる。視える人に、前世で菩薩だったけど(我欲が原因で?)その世界から追放された と言われたことがある」と言ったそうです。
菩薩が前世なんてあります?しかも追放って??
さらに、義母は「執着が取れないのもそういう原因があるよ」
だそうで。
その執着や苦しみを少しずつ取り除く努力をしていくのが仏教だと思うんですけどね。
仏道は諦めてしまったんでしょうか。
お金は死んだら持っていけないんですよ。
それにそのような生き方をしていると、長男のお嫁さんは義両親の死後にクリスチャンに改宗して、先祖供養をしてくれなくなるような気がします。
実際、韓国では大変な先祖供養が嫌で改宗する人が非常に増えているそうです。
自分がして欲しいことを人に対してできるように今のうちから、、、
良い行いも悪い行いも、直接的ではなくとも、必ず自分に返ってくるように思うのです。